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石谷伝四郎(1866〜1923)が智頭の自邸を大正8年から約10年かけて改築させた大規模な木造家屋が「石谷家住宅」である。以前は、主屋が往来に面した町家作りであったと伝えられているが、大正8年の構想によって主屋は奥の方に建て替えられ、江戸時代から存在した古屋敷や蔵を廊下で接続し、塀で大きく取り囲む武家屋敷風の構えとなった。表門を入ると、前庭を配して右手に式台のある玄関、そこからは畳廊下を通って客用座敷や茶室へと導かれる。正面の大屋根の主屋の入り口は巨大な梁組を持つ広大な土間。この土間は伝統的な豪農の作りとなっており、土間の横には店と呼ばれる帳場がある。主屋の庭側座敷は主人居室で書院造り。2階は神殿と座敷が並ぶ。各座敷から池泉式庭園が眺められる。敷地3千坪、部屋数40余りと7棟の土蔵を有する大規模な邸宅は、背後の諏訪神社と杉山を背景としている。また、石谷家には当時の建築図面や文書が多く残されており、それらは建築本体と共に近世から近代への建築技術の推移を示す貴重な資料として評価されている。
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漆喰仕上げ、人造石洗い出し仕上げ |
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